途中の行方

ネタバレを多分に含む映画感想ブログです。

セックスに関する認識と、ノンケ女性の性欲の話

 

そろそろ映画メモのストックも少なくなってきたし、今日は雑記の日にします。

前回の『人のセックスを笑うな』についての記事や、『メゾン・ド・ヒミコ』についての記事に書いた、ノンケ女性の性欲についての話です。

というよりは、考えていくうちに、セックスについての認識の話になるのかなぁ、と思えてきたので、そういう話になると思います。

 

メゾン・ド・ヒミコ』の記事にて、

岸本春彦(オダギリジョー)と吉田沙織柴咲コウ)がセックスしかけたとき、吉田沙織柴咲コウ)が言った「触りたいところなんてないんでしょ」、というセリフに違和感があった。
というのも、わたしはレズビアンだから男性に触りたいとは思わないし、ノンケ女性の性欲がどのようなものなのかわからないからなんだけど…。
わたしが女性に触れたいと思うように、ノンケ女性も男性に触りたいと思うんだろうか。
 ノンケ男性が女性に触りたいと思うのはわかるけど、ノンケ女性が男性に触りたいと思うかについてはぴんとこない。
ので、このセリフがすごく男性本位なセリフであるように感じてしまいました。

 と、わたしは書いています。

 

この考えは、レズビアンであるわたしの主観が多分にふくまれています。

レズビアンであるわたしは、女性に触りたいと思います。セックスだけでなく、スキンシップもそうです。

そして、わたしは男性に性欲を抱きません。だから男性に性欲を抱く、ということが、ちょっとぴんとこない、と思ってしまうのです。

けれど、男性に性欲を抱く女性に、性欲でもって触りたいと思うことはありますと言われたら、そうですか、と言わざるをえません。

 

 

そして、『人のセックスを笑うな』の記事において、

ユリ(永作博美)が既婚でありながらみるめ(松山ケンイチ)に手を出したことについて、「触りたかった」と言ったけれど、ノンケ女性は性欲を感じるとき触りたいって思うんだろうか。わたしはレズビアンで、性欲でもって男性に触りたいと思わないからよくわからない。

と、わたしは書きました。

 

この記事を書きながら、わたしは自分の文章にちょっと違和感をおぼえていました。

永作博美が「触りたかった」と言った意味は、性欲だけで片付けられるものではないのでは? という考えが、浮かんできたのです。

わたしは手を繋いだり、抱きあったり、背中をあわせたりすることは、コミュニケーションのひとつであって、言葉がなくても繋がるものもあると考えています。

永作博美の「触りたい」は、ただセックスがしたいというだけの「触りたい」でなかったというのであれば、納得できる「触りたい」ですし、実際、セックスだけではなかったのではないでしょうか。

(映画を観てすぐの感想ではたぶん、『メゾン・ド・ヒミコ』に対する違和感に、あたまが引きずられていたのではないかと思います、、)

 

 

 けれど、そうやって考えていっても、『メゾン・ド・ヒミコ』の「触りたいところなんてないんでしょ」というセリフへの違和感は、拭えませんでした。

おそらくそれは、わたしの持つセックスに対する認識の問題なのだと思います。

 

 わたしは、セックスには順序があって、ある程度順序立てて行うべきものである、と思っています。

つまり、オダギリジョーはセックスの順序を知っているはずであり、順序に従って動けば男女差はそれほどないはずで、触りたいところなんてことを考えなくともセックスできたはずである、ということです。

そして、セックスにおいて触りたいところのみに触れられていると考えるのなら、それは自意識過剰なのでは、ということです。

 

たぶんわたしのセックス観はドライです。

柴咲コウがあのとき、「私とセックスしたいなんて思わないんでしょう」と言ったら、わたしはまだ納得できたような気がします。

性欲がなくても愛情がなくてもセックスはできるし、だからオダギリジョーが、柴咲コウとセックスした上司を「うらやましい」と言ったのも、わたしはいまいち理解できないのです。

 

 

うーん。

上手に言葉にできていない気しかしませんが、ひとまずここでしめるとします。

映画『人のセックスを笑うな』

 
人のセックスを笑うな
2008年
 

人のセックスを笑うな [DVD]

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美大生のみるめ(松山ケンイチ)と、リトグラフの教師としてやってきたユリ(永作博美)の話。


これも雰囲気映画が観たいです、と言って教えてもらったうちの一本。
ぼーっと観てぼーっと終わった。観たことを忘れていてちょっとメモまで時間があいた。観たあとのメニュー画面を見た弟に、これ前にも観てなかった? と言われたけど全然覚えがなくてこわい。観ようと思ってDVD入れたけど観なかったとか、そういうかんじであることを祈る。

原作読んだときぴんとこなくて、映画はもっとふくらませたぴんとくる話になってるんだろうか…、と考えたけど、原作のことをもう忘れてしまったし、映画もぴんときたかと言われたらあやしい。
ただ、冬が好きなので、学校の喫煙所の寒そうな空気とか、冬服とか、ガスストーブとかがいいなと思った。田舎感もいい。

永作博美の顔は桜庭一樹に似ている、と何年か前から思っていて、だから永作博美にはあんまりむらっとしない。
と思っていたのだけど、ユリ(永作博美)がみるめ(松山ケンイチ)の首に手をかけたときの、腕から手首のラインがとてもうつくしかった。うわー、と思った。
そしてわりと関係ないしどうでもいい話なんだけど、この映画をおすすめしてもらったとき、永作博美がストッキングの上にぱんつを履いているように思われるシーンがある、と男性に言われていて、いやそれガードルとかの補整下着の類では? と言っていたら、ほんとにそうで笑った。意外と知らないものなんですね。
 
映画館で働いてるえんちゃん(蒼井優)の制服がスーツというか燕尾服っぽい雰囲気で、携帯のもこもこストラップがパンツのポケットから出ているとうさぎのしっぽみたいでかわいいなと思ってた。バニーちゃんみたい。

ユリ(永作博美)が既婚でありながらみるめ(松山ケンイチ)に手を出したことについて、「触りたかった」と言ったけれど、ノンケ女性は性欲を感じるとき触りたいって思うんだろうか。わたしはレズビアンで、性欲でもって男性に触りたいと思わないからよくわからない。このへんは『メゾン・ド・ヒミコ』の感想記事でも書いたけど、もうちょっとつめてひとつの記事にしたいなと思います。

猪熊さん(あがた森魚)はユリ(永作博美)の奔放さに気づいているのだろうか。いや奔放なのは知ってると思うけど、みるめ(松山ケンイチ)とのこととか。

内容やタイトルにはいまいちぴんとこなかったけど、Don't laugh at my romance. という副題(?)にはぴんときます。

映画『サウンド・オブ・ノイズ』


サウンド・オブ・ノイズ
2010年
オラ・シモンソン
ヨハネス・シェルネ・二ルソン

(Amazon見つかりませんでした、、)

ベングド・二ルソン
サナ・パーション
マグナス・ボイエソン
フレデリック・ミア
アンダース・ベステガード

音楽家の家系に生まれたが音痴で、警察官になったアマデウス(ベングド・二ルソン)と、今の音楽に飽き飽きし、音楽によるテロを行うサナ(サナ・パーション)が出会う話。


映画の好きな友人に誘われて行った。たぶん自分だけだと見落としていた映画だと思うけれど、観てよかったし、映画館でこの映画を観られてよかったと思う。

音楽が楽しげでいい、というか観ていて楽しかった。なにか叩いて音が出て、それを楽しむ、みたいな原始的な音楽体験や喜びが、たぶんみんなにあるのだと思う。
特に、音楽そのものがいちばんきちんと取り上げられているからかもしれないけれど、第一楽章が好きだった。

サナが楽器にすると、アマデウスにとって音を出さないものとなる、という設定を飲み込むのに時間がかかって、最後のオーケストラのシーンでやっといろいろ腑に落ちた。遅い…。
でもなんでそうなってしまうんだろう。楽器らしい扱いをしてもらえなかったから楽器ではなくなるとか? もしそうならサナたちの音楽テロは、この映画を作った人たちにとってどういう意味のものなんだろう?

あと、最後恋愛に繋げる必要はあったのだろうか…。べつにあそこでキスしなくてもいいと思った。

かもめ食堂でも思ったけど、全然意味のわからない言葉は聞いていてきもちいい。


映画『(500)日のサマー』

 
2009年
マーク・ウェブ
 

(500)日のサマー [DVD]

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ロマンティストのトム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)が、サマー(ズーイー・デシャネル)に恋をしてから新しい恋を見つけるまでの500日の話。



友人に、なにか映画でおすすめない? と聞いて教えてもらったうちの1本。「イノセント・ガーデン」を観た夜に、うまく寝付けないだろうなと思ったので、口直し的に観た。(けれど、結局寝る直前はイノセント・ガーデンの映像が頭をよぎってなかなか眠れなかった)
 
おしゃれ恋愛映画! という感想。
何日目、何日目、と話が細切れになっていて、そしてそれがいいテンポで、また、日付がシャッフルされてるからわくわくした。観返したり組み立てなおしたりしたくなる映画。

 

ヒロインのサマー(ズーイー・デシャネル)がとにかくかわいかった。
前田敦子みたいな奔放なかわいさだと感じたし、実際に雰囲気も似てると思う。髪飾りなどのアクセサリーや服がかわいいのにも、いちいちきゅんきゅんしながら観ていた。
 
ただ、話の途中で別の映画とかをはさむ部分があったので、そこはすこし戸惑った。(映画を観なれないせいか、意図がつかめなくてだれてしまった、、)

 

最後、ふつうにハッピーエンドの恋だと思って観てたのでちょっとびっくりした。でもああいうふうに主義主張がさくっと変わってしまうところも、サマーの奔放さをあらわしているのかなぁ。若干の裏切られた感をわたしも味わった…。
サマーの側からの(500)日も知りたい。
 
あ、ひとつだけ、トムにお前それちがうだろー…、、とすごく思ったところがあったので書き足しておく。(9/13)
バーでサマーが絡まれた男と揉めたあとで、それを嫌がったサマーに「自分はサマーを守ろうとした」と言ったところ。
あれはトムがスルーしてれば、殴り合うことにはならなかったし、そのまま終っていたと思う。
揉め事をおおきくしておいて、なんであんなこと言えるんだろう、というか、自分が揉め事をおおきくしたことになんで気づいてないんだろう、と思った。
そういう押し付けがましいところがだめだったのかなー。
 
新しい女の子の名前がうまいなーと思ったのと、納得したのと。
 

映画『イノセント・ガーデン』

 

イノセント・ガーデン

2013年
パク・チャヌク
 

マシュー・グッド
インディアストーカー(ミア・ワシコウスカ)は18歳の誕生日に、父親を亡くし、毎年受け取っていた誕生日プレゼントの靴の箱には、鍵がはいっている。
葬儀の席に父親の弟を名乗るチャーリー(マシュー・グッド)があらわれ、家に居つくようになる。家政婦や親戚が姿を消す。
 
 
これも近日公開映画のなかから、フォロワーさんに教えていただいた映画。
ブラック・スワン』がよかったので、あの映画を観たときの恐怖感とか、ねちっこさを求めて観に行った、ように思う。
蜘蛛や蟻などの小さいものから広域に画面を広げていくかんじや、カメラというよりはなめるような視線にも感じられる映像が好きだと思った。とくにオープニングの映像がきれいで好きだった。
インディアの服装がずっとかわいい。
 
ついその先を考えすぎてしまうために想像力をかきたてられるホラーが苦手で、だから地下室のシーンのような、なにか来るかんじはすごく怖かった。うちに地下室がなくてよかった…。
(あのタイプの地下室が家にあったら、この映画がなくても、きっとわたしは一人で入れない)
 
一緒に観に行った友人は、殺人への動機付けが不十分であることや、ミステリーとは言えない内容であることから、やや満足できていないようだった。
わたしは終始こわがりながら観ていたので、いい意味で考える余裕がなく、好きな映像だと思うことができた。観客の思考を麻痺させることも、映画を魅せる手段としては有効だと思う。

終盤のニコール・キッドマンの独白は、字幕なしでニコール・キッドマンの目を見て観るのが正解だったんだと思う。子どもに第二の人生を重ねているのはまさにわたしの母親だ。ぞっとした。
(親が思っているほど子どもの人生の可能性は無限ではなく、むしろとても限られているように思う)
 
流血やホラーやサスペンスが正直苦手で、ふだん映画を借りるときは避けているけれど、いっそ映画館で観れば逃げられなくなっていいかもしれないと思った。
(ただしその日の夜はとても寝つきが悪かった)

やっぱり『ブラック・スワン』がもう一度観たいな。(すごくこわいけど)

 

映画『華麗なるギャツビー』


華麗なるギャッツビー
2013年

華麗なるギャツビー ブルーレイ&DVDセット(初回限定生産) [Blu-ray]

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ギャッツビー(レオナルド・ディカプリオ)の隣人であったニック・キャラウェイ(トビー・マグワイア)が、かつてあったギャッツビーとの関わりを回想する映画。


Twitterのフォロワーさんに、近日公開のおすすめ映画ありますか? と聞いて、教えていただいたうちの1本。
ギャッツビーは、今までに5回映画化しているそうで、わたしもなにかのときに別のバージョンのものをさわりだけ観た覚えがあるのだけど、ほとんど覚えていなかったため、ほぼ初見と言っていいと思う。

映画館で観たため、ふだんパソコンを抱えて観るときよりも、当たり前だけどずっと迫力があったし、映像がきれいだった。
ズームイン/アウトが激しいように思ったけど、3Dでも上映されてると聞いて納得した。(2Dで観ました)

女性陣の宝飾品がすごくきれい、というかかわいくて興奮しながら観てた。イヤリングとかめちゃかわいいよー。

観終わって考えたのは、どうしてこのストーリーが5回も映画化されたのか? ということだった。
無常感? ひと時の夢感?
わたしには言うほどギャッツビーが華麗で純粋には思えなかった。
(でもなぜそう思ったのか、がこのときの感想メモには残されていないし、自分でもいまいち思い出せない…。きちんと残しておくべきだった)

緑のライトは切なさを加速する。

映画『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』

 
2005年
 

エリ・エリ・レマ・サバクタニ 通常版 [DVD]

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浅野忠信

 

 
レミング病という自殺する病が流行する近未来。孫であるハナ(宮崎あおい)を、音楽によって治療すべくミヤギ(筒井康隆)がミズイ(浅野忠信)の元に連れてくる。
 
 
 
『百万円と苦虫女』の記事でも述べたように、ゆるふわサブカル女子のはしくれなので宮崎あおい蒼井優が好きだ。
そんなわけで、この映画を借りたのは宮崎あおいという女優と、ジャケットにひかれたからなのだけど、いまいちよくわからないまま終わってしまった。
というか、草原の演奏シーンで寝落ちしてしまって、次の日の朝残りの30分弱を観ることになった。
(わたしは映画を観るときは大抵寝支度を整えたあとで、ベッドに寝っ転がってノートパソコンを抱えている)
 
なんとも感想の書きにくい映画だった。感想が書きにくいな、と思ってほかの人の感想を読んだら、ますます自分の言葉が見つけられなくなってしまった。
 
前情報といえばジャケットくらいで、それすらきちんと見ていなかったので、はじめナウシカみたいだな、と思いながら観ていたけど、全然ちがった。
近未来設定のわりに自転車で行ける圏内に謎の掘っ立て小屋があったり、田舎なんだろうなー。近未来っていうとどうしてもぎらぎらしたSFみたいなの想像してしまう。貧困な想像力!
 
音楽シーンの長い映画。ノイズミュージックはよくわからないのかもしれない。
もしくは、ただ音を鳴らし続けるシーンの多さにだれちゃったのかも…。
草原での演奏シーンも映画館で観たり、眠くないコンディションだったらもっとちがったのかなぁとか。
ところで、音楽で人を救うのってあまりにもありきたりじゃないの?
 
あの探偵の人が最後自殺してしまったのもなんでなんだろう…。
 
不完全燃焼な映画だー、と思って、他の人の解釈読んだらまたわからなくなってしまった。もう一度観るべきか、投げるか…。
どちらにしろこの監督の作品とは、Helplessやサッドヴァケイションを観たい映画リストに入れてあるため、また出会う予定だ。
たぶんそれらを観てから観返すのも遅くないと思う。